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Podcast: REAM アクションと立回り
Episode: アクションを整理する04:スタート地点としてのアクション
Description: <自律的行為としてのアクション&まとめ編>
●身体表現としてのアクションが、本来のアクションのあるべき姿。
●だから現状のアクションとズレているなら、アクションという語を用いなくてもいいのかもしれないが、なぜかアクションという言葉には、外すことのできない魅力がある。
●その理由を探るために、アクションという言葉が用いられているケースを調べ、コレクションしてみた。例えば美術の世界では、アクション・ペインティングなど。これはアートとしてのアクションを考える上で参考になる。(美術展カタログ「アクション 行為がアートになるとき」)
●現象学的社会学アルフレッド・シュッツが制度化された行為であるactと自律行為であるactionを区分した。この自律行為としてのactionにアクションの本質がある。
●御膳立てが整えられた状態で、言われた通りにやるのは「制度化された行為」である=ああやれ、こうやれと指示され、言われるがままに吹き替えを使うこと。
●それに対して「いや、これは自分でやる」と吹き替えを拒否して、自ら表現を提案して行うのはまさに自律行為であり、アクションそのものである。
このactionと、スタート地点としてのアクションが合致したからこそ、そこにアクションの本質があるということを確認できた。
●この自律的行為こそが、現代においては欠如している。その理由は、産業社会経済において大量生産の論理に基づき、賃労働の社会システム化がなされたことにより、actとactionを同一化して自分の行為よりも制度行為の方に重点をおく状態が作られたから。(文化資本論より)
●それを自律的行為としてのアクションが、作品を通じて「制度化された行為」をぶち壊したところに、アクション作品本来の魅力が炸裂したわけで、それはアクション表現誕生と一致していたのである。
●だからこそ、アクションという言葉の魅力が輝いているのであり、私自身外すことができないで、今日までに至ることになる。それがアクションへのこだわりとなっている。
そんなことを話しています。