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Podcast: REAM アクションと立回り
Episode: アクションと等身大05:中庸性
Description: <昨日の続き>
●だからこそ等身大MAXを基本形とすることで、専門家の戦いはさらに高度なものとなるわけで、専門家としての本物の技術や技を持ってくればいいというものではない。
●なのは、等身大だからこそ、観客の共感や、格闘の過程に対する臨場感もマックスになるという点である。
●専門家なら勝って当たり前、できて当たり前、と思われてしまうわけで、そのためには別途アイデアが必要となる。
●このようなことを一切無視して、または知らずにアクション表現を構築するから、最近のアクションシーンは面白くないのである。
●また、アクションの打撃技に「殴り」しかないのも、やはり基本が等身大だからだと考えられる。
<中庸性>
●アクションの立ち位置、その基本が中庸である。
だからそのことをアクションの中庸性という。
●等身大MAXは、中庸性の代表と言える。
●専門性について考えるなら、これも中庸が正しいあり方。
●=つまり、例えば格闘技術について、専門家レベルで取り組むことは、表現に対してマイナス効果を生むというのは、これまで語ってきたこと。
●しかし、やらなさすぎるのも問題がある。それは基本的な技の完成度が不十分であるということ。すなわちツールレベルに止まり、ウェポンに達していないということ。
●技の完成度が不十分ということは、アクション的にはモビリティが不足しているということなので、モビリティを過不足ないレベルまで引き上げるところまでは、異分野練習として技に取り組んでもよい。むしろプロならばやるべきだろう。
●ただし方法論を誤ってはいけない。
●アクションにおけるウェポンレベルとは、まさに等身大MAXの拡張レベルであるから、それを抑えることで等身大MAXで表現することは、たやすいのである。
●むしろレベルを落とすだけだから、余裕ができるため表現がたやすくなるわけだ。
そんな話をしています。